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熊本家庭裁判所玉名支部 昭和43年(家)73号 審判

申立人 代田英夫(仮名) 昭三六・五・一〇生

右法定代理人親権者母 代田昌子(仮名)

相手方 山崎順一(仮名)

主文

相手方は申立人に対し、金二〇万七、二二六円を即時に、昭和四五年二月より申立人が満一八歳に達する月まで月額金八、〇〇〇円宛を各月末日限り、いずれも熊本家庭裁判所玉名支部に寄託して支払え。

本件手続費用中鑑定に要した費用金一万五、〇〇〇円は相手方の負担とする。

理由

(本件申立の要旨および経過)

申立人は「相手方は申立人に対し、本申立の日(昭和四二年一二月四日)から申立人が満一八歳に達する月まで月額金一万円宛の扶養料を熊本家庭裁判所玉名支部に寄託して支払え。」との調停を求め、その実情として

一、申立人は、昭和三六年五月一〇日申立外代田昌子を母、相手方山崎順一を父として出生した非嫡の子である。

相手方は申立人を自己の子に非ずとしてその認知を否認していたが、曩に熊本地方裁判所玉名支部においてなされた認知認容の判決が同四二年九月一四日確定したので申立人は前記出生の日に遡つて相手方の子たる身分を取得したものである。

二、したがつて、相手方は、未成熟子たる申立人を自己の生活程度と同程度に扶養すべき義務があり、かつ相手方は玉名郡○○町屈指の富農で資産数千万円を有し、右義務の履行は極めて容易であるにも拘らず、申立人を、貧困で生活能力も十分でない同人の母昌子に委ねて省みようとしない。

三、よつて申立趣旨の調停を求めるものである。

と述べた。

当裁判所は、昭和四二年一二月二二日から同四三年五月二九日まで八回に亘つて調停を試みたが、前記認知訴訟時の感情的な蟠りが未だ解けず合意到達の見込みがなかつたので、右同日調停を不成立とした。

しかるところ、親戚や当事者双方に親しい第三者からさらに側面的に調停委員会に協力し円満な解決を図りたいので調停を再開されたい旨の真摯な申出があつたので、再び調停を進めたが、依然相手方母アサの申立人母昌子に対する頑くなともみられる嫌悪感情や相手方の不誠意からついに合意を得るに至らず、同四四年一二月二五日調停は不成立となつて審判手続に移行した。

(当裁判所の判断)

本件記録にある戸籍謄本四通、裁判所書記官認証の熊本地方裁判所玉名支部昭和三七年(タ)第一号子の認知事件判決謄本、被審人代田昌子(第一乃至四回)および相手方本人に対する各審問の結果を総合すると、申立人の親権者である申立外代田昌子は、昭和三二年一月頃から相手方と情交関係を結び、その後一時中断したが、同三五年三月頃から再び同関係を続けるうち相手方の胤を宿して同三六年五月一〇日申立人を分娩したこと、これよりさき同女の妊娠を知つた相手方は頻りに堕胎を勧めたが、同人がそれに必要な金員を与えなかつたため貧困な同女はその処置ができず右のごとく出産するにいたつたものであること、相手方は右昌子の申立人出産後も同人が自己の子であることを否定していたが、同四〇年八月二四日熊本地方裁判所玉名支部において申立人の相手方に対する子の認知事件(同裁判所昭和三七年(タ)第一号)についてこれを認容する旨の判決があり、同四二年九月一四日右判決は上告棄却により確定したので、申立人は前記出生の日に遡つて相手方の子たる身分を取得したこと、申立人は現在母たる右昌子と同居し同女の日稼ぎ等による乏しい収入および叔父(右昌子の実弟)の生活費補助等によつて辛うじて養育されていること等の事実が認められる。

右事実によると、相手方は右申立外昌子と共に同人等の未成熟子であり、要扶養状態にある申立人に対し、自己等と同程度にその生活を保持させる義務のあることは明らかであるというべく、かつこの場合右未成熟子たる申立人に対し親権を有すると否と、もしくは同人と生活を共同にすると否とによりその扶養義務に径庭を生ずべき筈のものでなく、父たる相手方と母たる右昌子とが現実に負担すべき扶養料の割合は、各自の資力に応じ一切の具体的事情を考慮して合理的に決定さるべきものであるといわなければならない。

よつてさらに進んで申立人の要扶養額およびそのうち相手方の負担すべき金額等について検討することにする。

前出の戸籍謄本および審問結果のほかに、鑑定人木下孝の鑑定結果を総合すると、申立人は未だ満八歳の小学校二年生で、もとより自活能力なく、前記のごとくその母である申立外代田昌子によつて養育されておるが、同申立人の教育費を含む生活費の月割額(年間の所要額については、これを月割額に換算)は、昭和四三年度中における実績に徴すると、

主食費 一、六八〇円

副食費 二、七〇〇円

(一家三人で必要とする副食費八、一〇〇円の三分の一の額)

光熟費 六五〇円

(一家三人で必要な電気・プロパンガスおよび冬季燃料合計額の三分の一の額)

被服費 一、五一二円

洗剤等 二二〇円

(一家三人で必要な洗剤等の三分の一の額)

雑費(歯科治療費等) 三〇〇円

学費 一、二〇〇円

内訳

(給食費)    (七〇〇円)

(P・T・A会費) (二五〇円)

(学習材料費)  (二五〇円)

散髪代 二三〇円

小遣  三〇〇円

計   八、七九二円

であつたことが認められる。

もつとも右費額中、被服費の中に含まれている雨傘三本(一本の購入価三五〇円)は、申立人がいたずら盛りの学童であることを考慮に容れても概ね年一本で足るものと考えられるので、過剰と思われる二本の価格七〇〇円(月割額換算五八円)を控除すると、同年度における申立人の月間生活費は八、七三四円となるべきものである。

ところで、昭和四三年度の申立人居住地(同居住地は生活保護法上の生活保護基準地域の級別区分では、四級地とされているが、同地は玉名郡内平野部でも一等地にランクされておつて、農業経営規模の大きいこと並びに農業技術および同基盤改善事業の進んでおることでは県内屈指で、産業・文化・教育の各部面において実質的には近隣の玉名市・荒尾市等の三級地と殆んど径庭がないので、右保護基準の運用上は、むしろ三級地として取扱うのが相当である。)における七~八歳の児童について適用される生活保護法第八条に基づく厚生省通達による生活保護の基準額(月額)は七、七二一円であるから、申立人の生活費は右基準額を約一、〇〇〇円上廻るだけであり、その生活程度は決して高いものでないことが認められる。

しかして、右生活費は、申立外代田昌子によつて賄われておるものであるが、既出の証拠のほか、登記簿謄本三通ならびに横島町長の「不動産の詳細について」と題する回答書等を総合すると、同女は現在その三弟茂(二〇歳)および申立人との三人暮らしで、資産としては、不動産は右三人で居住する亡父代田早苗所有名義の建坪九坪位の木造藁葺平家建家屋一棟と同女が申立外伊藤友義と共有(持分二分の一)する右宅地一六四・六二坪ならびに右亡父から相続した田二筆(計七畝一五歩)だけで、現金は殆んどなく、預貯金も四〇歳満期の郵便局取扱い養老保険(保険金三〇万円)に加入しているほかは皆無であるのみならず、現在生活費や前記認知訴訟時の費用等として農協その他から借りた約四〇万円の負債が存し、また収入は小作(四畝歩)を含む約一反二畝の水田を耕作(その収穫は昨年度九俵で、うち四俵を供出し、残り五俵中三俵を自家の飯米として消費し、二俵を借財の返済に充てている。)するほか、土方仕事に出たり、海に出て具を採つたりしているが、それらによる現金収入は、右供出米代金(一俵八、〇〇〇円)が年間三万二、〇〇〇円(月割額換算約二、六六六円)、土方仕事等による労賃が月平均約一万四、〇〇〇円余にすぎず、これに世帯を同じくし同町内の自動車整備工場に通勤している三弟茂の月収(一万六、〇〇〇円)中家計への繰入れ額約七、〇〇〇円とをプールして三人の生計の資に充てているが、その生活はギリギリの線にあり(右供出代金の月割額約二、六六六円、昌子の労賃収入約一万四、〇〇〇円、茂の家計繰入れ額約七、〇〇〇円をプールした月平均合計額約二万三、六六六円を三等分すると、一人当りの生活費は約七、八八八円となるにすぎない。)ときには生長盛りの申立人や働き盛りの右茂の分を多くする必要上、同女自身の分を相当切り下げざるを得ないという実情にもあることが認められる。

なお、申立人の生活費は前記のごとく決して高いものではないが今後同人の生長に伴いその額が次第に増大することを免れないことは、物価の上昇は別としても、昭和四三年度における前記厚生省通達による生活保護基準が生存費(飲食物費)だけを算定基礎に置いた場合でも、六~八歳の男児の該費額と一八~一九歳の男児のそれとでは、約三三パーセントの開き(3,035円:4,065円=100:133)が存する(教育費等の伸びはさらに大である)ことからも容易に推断し得られるところであつて、このまま推移するときは、申立外昌子の生活に相当な桎梏を加える結果となるべきことは明らかである。

つぎに、既出の証拠に、被審人大下栄(第一回)同岩村明同木下孝に対する各審問の結果、裁判所書記官星野史郎の報告書(昭和四五年一月二二日付、同月二三日付、同月二六日付、同月三〇日付ならびに同年二月二日付各通)等を総合すると、相手方およびこれと同一世帯を構成する者に係る、

(イ)  資産は

水田  一一筆計一町八反二歩    評価額 一、〇八六万円

宅地  二筆計三四七・二二坪     〃  六六万円

家屋  一棟(木造瓦葺四〇・五〇坪) 〃  二六万円

納屋  一棟(木造二四・二五坪)   〃  六万円

牛舎  一棟(軽量鉄骨造り)     〃  一五万円

乳牛  一〇頭            〃  一五〇万円

自動車 一台             〃  二五万円

預金(農協以外は不詳)           一〇万八、四三四円

合計                    一、三八四万八、四三四円

(ロ)  負債は

(A)  ○○町農協からの、

(a) 農業近代化資金としての借入金 四〇万円

(b) 共済還元資金としての借入金  四〇万円

(c) 酪農振興資金としての借入金  四〇万円

計        一二〇万円

(B)  同町漁協からの、

(a) 海苔前渡貸付けによる借入金  五万円

(b) 天災融資による借入金     七、八〇〇円

計         五万七、八〇〇円

合計        一二五万七、八〇〇円

(ハ)  純益(年間粗収入から必要経費を控除した額)は

米       九五万四、七二〇円

蔬莱(メロン) 二五万円

牛乳      八七万三、一四四円

計     二〇七万七、八六四円

(ニ)  負債の償還期間および年度別償還額は

昭和四五年度

共済還元資金償還金  一〇万円

海苔前渡貸付金償還金 五万円

天災融資償還金    三、九〇〇円

計          一五万三、九〇〇円

昭和四六年度

農業近代化資金償還金 二〇万円

共済還元資金償還金  一〇万円

天災融資償還金    三、九〇〇円

計          三〇万三、九〇〇円

昭和四七年度

農業近代化資金償還金 二〇万円

共済還元資金償還金  一〇万円

酪農振興資金償還金  二〇万円

計          五〇万円

昭和四八年度

共済還元資金償還金  一〇万円

酪農振興資金償還金  二〇万円

計          三〇万円

であること等の事実が認められる。

よつて、右(ハ)の年間純益を月割額にすると、一七万三、一五五円(207万7,864円/12 = 17万3,155円)となり、また前記(ニ)の年度別負債償還額を月割額に直すと、

昭和四五年度 一万二、八二五円

(15万3,900円/12 = 1万2,825円)

同 四六年度 二万五、三二五円

(30万3,900円/12 = 2万5,325円)

同 四七年度 四万一、六六六円

(50万円/12 = 4万1,666円)

同 四八年度 二万五、〇〇〇円

(30万円/12 = 2万5,000円)

となるので、相手方およびこれと同一世帯を構成する者の純益から負債の償還額を差引いた月当り純益(純収入)は、

昭和四五年度 一六万〇、三三〇円

同 四六年度 一四万七、八三〇円

同 四七年度 一三万一、四八九円

同 四八年度 一四万八、一五五円

同 四九年度以降 一七万三、一五五円

となるものといわなければならない。

ところで、既出の証拠に、被審人大下栄(第二回)同山崎みつに対する各審問の結果を総合すると、相手方々の家族構成は、

相手方本人 三三歳 健康

同 妻   二九歳 〃

同 長男   六歳 〃

同 二男   三歳 〃

同 長女   一歳 〃

同 母   五七歳 病弱

同 伯母  七五歳 老衰

同 弟   一八歳 健康

同 妹   一九歳 〃

の九名で、主食はすべて自家生産で賄うことができるうえ、成年活動期にある者は相手方夫婦と同弟妹の四人だけで、他の五人は消費単位指数が低い老幼者で生活費中に占める比重は比較的軽いので、月間一〇万円位あれば、ゆとりのある生活を営むことができ、多少贅沢をしても一二万円位で済むことが認められ、相手方々における前記月間純益によれば毎月相当額の剰余を出し、もしくは貯蓄を産み出すことが可能で、前記借入金の償還期間内においても、

昭和四五年度は、毎月四万〇、三三〇円ないし六万〇、三三〇円

同 四六年度は、毎月二万七、八三〇円ないし四万七、八三〇円

同 四七年度は、毎月一万一、四八九円ないし三万一、四八九円

同 四八年度は、毎月二万八、一五五円ないし四万八、一五五円

宛の剰余もしくは貯蓄が可能であり、同四九年度以降においては、毎月五万三、一五五円ないし七万三、一五五円宛の剰余もしくは蓄積が期待されるものというべきである。

相手方は、前記資産は、その殆んどが同人の母である申立外山崎としの所有(一部は同弟山崎宏名義)となつており、農業所得も挙げて同女に帰するものであり、相手方夫婦およびその三子は、右母からただ食べさせてもらつておるだけ(食い扶持を与えられておるだけ)であつて、独自の収入は全然無く、したがつて本件扶養の余力もないものである旨主張・供述し、成程登記簿上では前記不動産は、二反五畝歩の水田および一五〇坪の宅地各一筆を除いて悉く右母とし名義となつており、右水田および宅地各一筆も弟の申立外宏名義となつておつて、相手方の所有名義となつているものは全く存しないことが認められるが、反面前記証拠上右不動産は昭和四二年一一月一〇日相手方の父山崎誠死亡時までは、右誠の所有に属しておつたものであるところ、その後同年一二月下旬本件扶養請求の調停が開始され進行するにいたるや、俄かに遺産分割協議によつて同四三年三月前記のごとく右遺産の殆んどを母とし名義に、一部を弟宏名義に分割し、農家の長男として前記亡誠の後継者たる地位にあり、現実にも同人死亡後一家の中心となつていたので、すくなくとも農地の大半は相続すべき筈の相手方は一筆の不動産も取得しなかつたという、同人方営農の実態と全く懸け離れた、まことに寄異な分割形態となつていること、しかのみならず本件調停・審判が終局に近づくや、さらに相手方所有の乳牛一〇頭をも同人妻みつの所有名義に変えてしまつている(昭和四四年中に)が右名義換えについてもこれを首肯するに足りるような事情の存在は毫も窺われず、また、相手方々収入の大宗である米、蔬莱および牛乳の生産に従事している者は相手方夫婦および相手方の妹文子(ただし同女は後記のごとく米・蔬莱のみ)の三人だけ(もつとも格別忙しいときには熊本の高校に通つている弟宏もいくらかは手伝うことがあるが、同人は平素は全然農業に従事していない)で、その生産寄与率は、概ね相手方夫婦が共同で八〇パーセント、同人妹が二〇パーセント位の各割合であり、また乳牛の飼育管理・牛乳の生産に従事している者は、相手方夫婦だけで、その生産寄与率は一〇〇パーセントである(なお相手方と同人妻との農業生産寄与率を比較すると、両名の労働量・労働効率を総合した労働力の比が概ね5:3と認められるので、これを百分率に換算すると、相手方六三パーセント、同人妻三七パーセント位の各割合になる。)から、これら寄与率からすると、相手方々における農業純益年額二〇七万七、八六四円・その月割額一七万三、一五五円のうち、相手方夫婦の労働によるものは年額一八三万六、九二〇円{(95万4,720円+25万円)×0・8+87万3,144円=183万6,920円}・その月割額一五万三、〇七六円(183万6,920円÷12=15万3,076円)であり、相手方一人だけの分でも年額一一五万七、二六〇円(183万6,920円×0・63=115万7,260円、円位未満4捨5入)・その月割額九万六、四三八円(115万7,260円÷12=9万6,438円)となり、相手方々における営農全般の中心は相手方夫婦であり、就中相手方が主導的地位を占めていることが明白であること、なお○○町内の農事その他各種の会合にも相手方が一家を代表して出席しており、母としは喘息もちの病身のため家に引つ籠りがちで、農作業その他生産的業務には勿論従事しておらず、弟宏も前記のごとく殆んど生産に寄与していないこと等の事実を総合するときは、相手方は相手方々における生産・所得・資産の管理運用等家政全般における実質上の主体者であるということができ(因みに○○町内には、他県にみられるような農地の所有者である父・母と、現実に農業労働に従事するその子弟との間における定期定額の報酬を内容とするいわゆる典型的父子契約が締結されている実例は、未だ認められないが、その萌芽ともみるべき老境に人つた父・母が一家の農業所得を概ね子等の労働貢献度に応じて配分している事実上の慣行は同町内諸所に散見できるのであつて、相手方がその産み出す所得について、名義の如何を問わず、支配の実勢を有することは最少限疑いの存しないところであるといわなければならない。)、これに相手方ならびに同人母としは本件調停・審判においても、数回呼出しを繰り返さない限り出頭しなかつたり、出頭しても途中無断で帰つてしまう等、誠実に調停に応じて事を解決しようとするような真意は片鱗だに窺われず、極力扶養義務を免れようとすることに懸命であつた等の事実(このことは当裁判所に顕著である)を併せ考えるときは、相手方々における土地・建物・預貯金等が申立外とし(母)同宏(弟)名義に、また乳牛が同みつ(妻)名義になつておるのは、相手方の扶養義務免脱目的に出た仮装のものである(資産の仮装分散)と窺い得る余地が多分に存するものといわなければならない。

そうすると、相手方には前認定のごとく毎月剰余もしくは蓄積となるべき所得・収入についてこれを利用・処分し得る自由、すくなくとも右利用・処分について強い発言力のあることは否定し得ず、したがつて相手方において右剰余もしくは蓄積中から、自己の血を享けている申立人に対し、その扶養に必要な資を支出しようとする真意さえあれば、右財産の名義者たる前記申立外とし等においてこれを拒否する筈がなく、右実行は十分可能であるものというべきであるから、相手方は同人の非嫡子たる申立人に対し、自己と同程度の生活を得しめるため必要な扶養能力に欠くるところはないものというべく、すくなくとも申立人の前記認定に係る月間生活費相当額を負担する余力の存することは極めて明白であるといわなければならない。

しかして、右扶養の方法としては、申立人を引取り扶養する方法と、申立人に対し扶養料を支払う方法とが存するが、前記認知訴訟の経過や本件調停・審判の実情に徴し、相手方が申立人を引取り扶養することは、これを期待することが相当でないうえ、現在申立人はその母申立外代田昌子の膝下にあり、同女は自身の最低生活費を割つてまで申立人の養育に献身的愛情を注いでおるので、申立人扶養の資の大半を相手方において負担し、右昌子において申立人の監護・哺育に当ることにより同人の扶養を期するのが適当であると考えられる。

ところで相手方において負担すべき扶養の額は、前認定のごとき申立人の必要生活費、同人母代田昌子と同父たる相手方との間における資産・収入の大きな開きのほか、右昌子が借財をしたり、その弟から補助を受けたりして申立人の出生以来本件調停時迄の約六年間(これは申立人の要扶養全期間の三分の一の期間に相当する)申立人を扶養してきておるのに、その分については何らの請求もなしておらないこと、その他前叙のごとき諸般の事情を参酌考量するときは、現在申立人がその生活に必要としている月間金八、七三四円のうち金八、〇〇〇円をもつて相当とすべきものと考える。

しかして、右金額は相手方の前示生活程度に照らし、同人の、その子たる申立人に対する生活保持義務の範囲内にあることは、もとより明白である。

そうすると、相手方は申立人に対し、本件調停申立の日である昭和四二年一二月四日から右申立人が一応未成熟子たる域を脱するとみられる満一八歳に達する月まで、月額金八、〇〇〇円(将来著しい生活費の昂騰等があるときは、申立人において、あらためて右額の増額を求めることができることは勿論である)の割合による金銭扶養をなすべき義務があるものといわなければならない。

よつて当裁判所は、相手方に対し、既に履行期の到来している昭和四二年一二月(同月分は日割計算)から同四五年一月までの前示割合による扶養料計金二〇万七、二二六円(8,000円×28/31+8,000円×25=20万7,226円、但し円位未満は小額通貸の整理および支払金の端数計算に関する法律第一一条第一項により四捨五入した。)を直ちに、また同四五年二月以降同五四年五月(申立人が満一八年に達する月)まで右同割合による金員を毎月末日限り、いずれも当裁判所に寄託して支払うべきものとし、なお本件手続費用中鑑定に要した費用(それが金一万五、〇〇〇円であることは、本件記録上明白である)の負担について家事審判法第七条非訟事件手続法第二六条第一項第二七条を適用のうえ、主文のとおり審判する。

(家事審判官 石川晴雄)

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